60年前の「武高同窓会新聞NO,1」
会員の皆さまのお手元に届いている昨年発刊の武陵会会報は第78号ですが、
武陵会(本部)のホームページで、武高同窓会新聞の創刊号(昭和36年2月17日発行)が紹介されています。
武陵会(本部)のホームページから、記事と新聞をぜひご覧ください。
佐賀県立武雄高等学校同窓会東京支部
会員の皆さまのお手元に届いている昨年発刊の武陵会会報は第78号ですが、
武陵会(本部)のホームページで、武高同窓会新聞の創刊号(昭和36年2月17日発行)が紹介されています。
武陵会(本部)のホームページから、記事と新聞をぜひご覧ください。
貴重な資料が見つかりましたね。
創刊が昭和36年というと、小生は昭和37年の入学ですから1年前。
同窓会長の中尾貞重様、校長の掛林貞夫先生は小生入学時も続いておられたともいます。
西校舎の廃校になる経緯が詳述されていますが、その1年後、小生が1年生の7月だったか、大水で西校舎が水浸しになり、1年生が数十人で泥水・土除去に動員されたことがありました。そのころはまだ活用されていたか、既に廃校となっていたか、記憶が不鮮明です。
この創刊号の写真中に点線で囲まれた部分に南校舎が完成したのは2年生のころだったかな。南校舎からぞろぞろと下り坂を下校してくる女生徒諸姉が珍しく、興奮のあまり教室の窓から奇声を発したり・・・・。
投稿者のおひとり、徳富ツルゲサ様は女学校9回卒で、東京支部の名誉支部長を務められた方です。小生が初めて支部の総会に出席したころにはまだお元気で、珍しいお名前だなということで記憶にのこっております。
昭和36年といえばまだ戦後16年、皆様の投稿からは、あの頃の、まだ混沌とした無秩序の中にも、平和を喜び、繁栄を切望する社会の空気が伝わってくるような気がします。
こういう”古文書”は歴史をとどめてくれます。
見つかってよかったですね。
緒方様
ご無沙汰しております。同窓会が開けず大変残念ですが、貴重な資料など拝見し、改めて母校への思いが募ると同時に時の流れの速さを痛感いたします。
初代同窓会長の中尾様、同じく初代東京支部長の山北様などのお名前は、小生の叔父で陸士・陸大に進んだ職業軍人だった有森と同じ旧制武雄中学の第一回卒業生でよくお話を 聞いていました。校長の掛林様は、小生在校当時の校長先生であり、迫力に満ちた堂々とした先生でついこの前のようによく覚えています。
私事で恐縮ですが実家の甥が、佐賀東や小城高の校長を定年でこの三月に退任したことを聞けば、あまりにも時の流れの速さを感じます。
当時は、学校も安保闘争に揺れながらも、日本経済は高度成長時代であり、希望に満ちて頑張れた時代でした。少子高齢化時代に入り、国力も低下しつつある中で、現役武高生には、是非とも頑張ってほしいと思いますが、卒業した我々に何ができるか改めて考えたいと思います。
わが同期生たちもまだゴルフを楽しみ、小生も2年前完全に仕事をやめテニスや絵画展を楽しむなど元気に活動していますが、どのあたりが引き際かコロナ感染などに気を付けながらも80歳を超えた残る人生を考えていきたいと思っています。
武高も過去の歴史の上に現在があり、現在の歴史の上に将来が築かれる、当たり前のことながら同窓会新聞創刊号の件を拝見。
平川正巳