一ノ瀬泰造さん写真展のご案内
武雄高校の同窓生で戦場カメラマン、一ノ瀬泰造さん(18回卒/故人)の写真展が2つ開催されます。有田・武雄の写真を含めた戦場作品以外も多く展示され、関連イベントとして、姪で一ノ瀬泰造著作権管理者の永渕教子さんと報道写真家宮嶋茂樹さんの講演会も予定されています。
2つの写真展の会場は、隣り合う建物です。よろしければ、10月28日から開催の「もうみんな家に帰ろー!」が始まってからおでかけになってはいかがでしょうか。
沢田教一と一ノ瀬泰造
2025. 9/30(火)〜 2026. 2/1(日)10〜17時
入館料:300円 休館日:毎週月曜(月曜祝日の場合は翌日)、12/27〜1/4
日本カメラ博物館(千代田区一番町25JCII一番町ビル Tel.03-3263-7110)
◆日本カメラ博物館講演会「沢田教一と一ノ瀬泰造を語る」
講師:宮嶋茂樹(報道写真家)、永渕教子(一ノ瀬泰造著作権管理者)
2025.11/15(土)13〜15時 参加費500円(博物館入館料込み・学生無料)
JCIIビル6F会議室 定員100名 ※要予約 03-3263-7110
[沢田とーノ瀬の写真と展示資料](プレスリリースより)
沢田と一ノ瀬は、報道写真家として生き、戦場に殉じました。しかし、ふたりが捉えていた被写体は戦闘ばかりではなく、戦地へと赴く以前や、戦場での撮影の合間にもさまざまな写真を撮影していました。彼らのフィルムには、人の営みが感じられる風景や、そこに生きる人々の姿が記録されています。日本カメラ博物館で開催するこの企画は、これまで発表される機会が少なかった作品も含め、戦場とはまた異なる視線で見つめた2人のまなざしを、写真と数々の資料でたどる特別展です。
沢田が遺したフィルムには、故郷青森の三沢基地、下北半島など各所をはじめ、恐山のイタコ、1964年の新潟地震、同年の東京オリンピック、そのほかベトナムやカンボジア、香港など、そこに生きる人々の姿が写し込まれています。
ーノ瀬の写真には、学生時代にテーマとした大学闘争やデモ、自身も打ち込んだボクシング、山谷でのアルバイト中に撮影した工事現場、故郷の佐賀、下宿先の自室で撮影した父の記念写真など、身近な人々もテーマとして写しとられ、戦場に至るまでの一ノ瀬の青春をたどるかのような作品群が遺されています。このほか、沢田が使用していたライカM2やヘルメット、IDカード、ピュリツァー賞賞状や数々のトロフィー、ーノ瀬の被弾したニコンF 、配信に使用していたタイプライター、学生時代に打ち込んだボクシングのグローブ、自作の写真集など、貴重な資料も展示いたします。

戦場を駆けた写真家 一ノ瀬泰造
もうみんな家に帰ろー!
2025. 10/28(火)〜2025. 11/30(日)10〜17時
入場無料 11/10、17は休館
JCII PHOTO SALON(千代田区一番町25番地JCIIビル1階 Tel.03-3261-0300)
[展示資料](プレスリリースより)
本展では、24歳から26歳までフリーランスの写真家として戦地を駆け抜けた一ノ瀬泰造が、バングラデシュ、カンボジア、ベトナムで撮影した戦場の写真や、戦時下を生きる人々の姿をとらえた作品76点(モノクロ64点、カラー12点)を展示します。
世界的スクープを目指して数々の戦闘シーンを取材した一ノ瀬ですが、遺されたフィルムには、現地で出会った民衆の姿も数多く写されています。水牛と一緒に水浴びをする少年たちや弾薬箱に乗って遊ぶ男の子など、子どもを被写体とした写真も多く、生まれたときから戦争という日常しか知らない彼らの無邪気な笑顔が胸をつきます。下宿先で仲良くなった友人のロックルーや、戦災孤児のタン君など、ーノ瀬が親交を深めて写した作品もあり、彼ならではの人間味が溢れた写真ばかりです。
本展タイトルの「もうみんな家に帰ろー!」は、一ノ瀬がカンボジアで戦闘取材中、戦況が硬直するなかで相手側の兵士たちに向かって叫んだ言葉で(1973年9月3 日の取材原稿より)、緊迫する状況下でも人の心を和ませる言葉を発せられる一ノ瀬の人間性が表れています。本展を通して、一ノ瀬泰造が見つめた戦場と人間の姿に触れ、平和の意味を改めて考える機会となりましたら幸いです。


【一ノ瀬泰造プロフィール】
1947年佐賀県武雄市生まれ。1966年日本大学芸術学部写真学科入学。卒業後UPI通信社に勤務するが翌年退職し、アルバイトなどでベトナム行きの資金を貯める。1972年カンボジアへ入国。しかし、国外退去を命じられ同年8月ベトナムへ向かう。その際に取材した写真がUPI月間賞を受賞するなど各媒体に掲載。1973年ふたたびカンボジアに潜入し取材を続ける。11月、友人宛の手紙に「地雷を踏んだらサヨウナラ」と記し、アンコールワットへ潜入。その後消息を絶つ。このとき満26歳。9年後の1982年、プラダックの草原に埋葬された一ノ瀬の遺骨が発見された。
(C)一ノ瀬泰造アーカイブ